「トイレの神様」では泣けない [泣ける歌]
トイレの神様という歌が、紅白でフルコーラスで歌われるらしい。
前から、噂だけは聞いてましたが、何処かの店で有線で流れてきて
「あ、これか」と気付いたものです。途中で勘弁して欲しいと思った歌である。
ま、素人の見解なので、チラシの裏だと思って下さい。
あの歌で泣ける人の気持ちがワカランです。
そもそも”泣ける歌”が希有なものです。名前を聞いただけで恐れ入る
ようなビッグネームが取り組んだって、そうそう出来るものではない。
あの歌のように、平易な言葉を並べただけの歌詞、何処かで聞いたような
メロディの組み合わせから、人の心を揺さぶるような高度な心理操作は不可能です。
あれを作った人も、プロデュースした人もアレンジした人も真剣な作業だったのだろう。
だけど、日本の歌謡曲の水準からしてこれでは薄過ぎやしないか。
メロディの凡庸さを補う為、あっても不思議じゃない副旋律が無い、そういう曲である。
狙ったのかも知れないが、その辺の煮え切らなさが最後まで残ってしまうのが、心地の悪さとなる。
2コーラス辺りから、栗コーダーみたいのが入ってきた方が自然でしょ?これだけ
長丁場なのに、変化に富まないし、詞に訴える部分が無い→飽きるという構造です。
詞への突っ込みは、色んな所で言われているので、詳細は語りません。しかし、
Youtubeの公式にも、はっきり駄目出しをするコメントが増えて、その点は好ましい事だと思う。
見舞いに行って「もう帰っちゃうのか?」と言われても、逆は無い。ならその逆は何なのか?という事だ。
現実の話、年寄りと一緒に居て、段々悪くなって行って「ああ、もうこの人は死ぬのだ」と、
それを受容せざるを得ない心理は、真ん中端折って美化出来る筋合いのものではない。
この詞に、周りで誰か言ってやる人は居なかったのかと。
結論としてこの歌は、早く忘れたい歌だと思っております。
歌い出しが、中島みゆきの「糸」と似ている、というのも色んな所で言われていますが、
あちらの重厚さとは比較の対象にもなりません。つくづくも、トッププロの一言の重さを再認させられます。
前から、噂だけは聞いてましたが、何処かの店で有線で流れてきて
「あ、これか」と気付いたものです。途中で勘弁して欲しいと思った歌である。
ま、素人の見解なので、チラシの裏だと思って下さい。
あの歌で泣ける人の気持ちがワカランです。
そもそも”泣ける歌”が希有なものです。名前を聞いただけで恐れ入る
ようなビッグネームが取り組んだって、そうそう出来るものではない。
あの歌のように、平易な言葉を並べただけの歌詞、何処かで聞いたような
メロディの組み合わせから、人の心を揺さぶるような高度な心理操作は不可能です。
あれを作った人も、プロデュースした人もアレンジした人も真剣な作業だったのだろう。
だけど、日本の歌謡曲の水準からしてこれでは薄過ぎやしないか。
メロディの凡庸さを補う為、あっても不思議じゃない副旋律が無い、そういう曲である。
狙ったのかも知れないが、その辺の煮え切らなさが最後まで残ってしまうのが、心地の悪さとなる。
2コーラス辺りから、栗コーダーみたいのが入ってきた方が自然でしょ?これだけ
長丁場なのに、変化に富まないし、詞に訴える部分が無い→飽きるという構造です。
詞への突っ込みは、色んな所で言われているので、詳細は語りません。しかし、
Youtubeの公式にも、はっきり駄目出しをするコメントが増えて、その点は好ましい事だと思う。
見舞いに行って「もう帰っちゃうのか?」と言われても、逆は無い。ならその逆は何なのか?という事だ。
現実の話、年寄りと一緒に居て、段々悪くなって行って「ああ、もうこの人は死ぬのだ」と、
それを受容せざるを得ない心理は、真ん中端折って美化出来る筋合いのものではない。
この詞に、周りで誰か言ってやる人は居なかったのかと。
結論としてこの歌は、早く忘れたい歌だと思っております。
歌い出しが、中島みゆきの「糸」と似ている、というのも色んな所で言われていますが、
あちらの重厚さとは比較の対象にもなりません。つくづくも、トッププロの一言の重さを再認させられます。
2010-12-04 00:09
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コメント(2)
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同感です!
by NO NAME (2011-01-16 11:04)
何処のどなたか存じませんが、ご賛同ありがとうございます。m(__)m
大晦日に紅白にも出たらしい、ドラマにもなったらしい、
オリコンでも一位になったらしい、本も売れたらしい、
上っ面だけなぞると、稀代の大成功に見えるから怖いですが、
これらの”栄光”は、むしろ恥ずかしい事ではないでしょうか。
私は、両方の婆ちゃんを1月足らずの間に亡くした。外部から見れば
死ぬ人はデジタル的に生きるか死ぬかだろうが、実際はそうじゃない。
真冬の深夜に、かかりつけを迎えに行ったり、子供一同葬式の段取り
まで考えたりしつつ、それでもね、長男だけは必死なんですよ。
そうして、波に揺られるように彼の岸へ渡って行くものだ。
この歌がダメな歌になったのは、無駄で凡庸な部分もさることながら、
疎遠になっていた婆さんの今際の際に顔を出しただけで、
お涙頂戴に仕立てた、生命への冒涜も甚だしい部分が大きな要因です。
昔ほどではなくなったにせよ、紅白に出るのは大変な事だと思う。
そこそこの歌手では基準を満たさない。どれだけの層の厚さに風穴開けて
ようやく出られる舞台なのかと。それを考えれば、中身のない歌が
長時間専有する事自体、音楽をナメているとしか言いようがない。
by いいじまゆみこ (2011-01-17 22:38)